最強の餅

中途半端な文を辞めれる日がきますように

have a nice life

鮮烈に印象だけ残して駆け抜けていくひと。そういえば絵画の印象派という言葉はずっと違うんじゃないかなあと思っていた。ここでも違うはずだといいきれない。保身はしたいけど自信はないのよね、わかる〜。

 

特別にずーーーっとなりたい

 

Twitterで句点をつけないのはわたしの美学。私と変換せず「 わたし 」というのも、カギカッコは全角なのも、半スペースあけるのも、小さな小さなこだわり。凡人なりの美の解釈。奔放ができないならと揃えることで取り繕った。

 

娯楽のようにつらつら文字を遊ばせて、時折なにを考えたのか言葉を沈ませてくる。特別な人は特別で居続ける。装飾を重ねるわたしとは違うもっと重いなにかを突きつけられる。苦しいネ〜欲しくて堪らないものを持ってる人を眺め続けるの。なりたいね〜、でも今からわたしが手に入れようと思って手に入るものなら、最初から憧れてない。そんな誰でも手に入らないから羨ましいんじゃん。悔しいわねえ。

 

感受性が豊かとはよく言ったもので、その研ぎ澄まされたもので、聞こえすぎて、見えすぎて、思いすぎて、きっと壊れる人もいるんだろうなと思う。それにすら憧れてしまうけれど、きっとそういうところも凡人で、でもちょっと、凡人じゃないのではないかと思いたいその自我も凡人。

 

奇に憧れてる時点で凡だから

 

ただ大好きで仕方ない憧れの人が言っていた。意味わからないくらいしみたけど、それでも、この程度で奇を名乗りたくないし、大人しく凡を受け入れもできない。おもしろいくらいニンゲンクサ