最強の餅

中途半端な文を辞めれる日がきますように

Murder on D Street

幼少期、おじいちゃんと将棋をしていた。

 

本来2手3手先を読み、場合分けして打つ手を決めるもので、実際5個下の弟は、論理的に考えおじいちゃんにも圧勝するようになっていった。わたしは「経験豊富で何手先をも考えるおじいちゃんの意表を突くこと」を目的に将棋をしていた。

 

そういう人を出し抜けた快感を忘れられなかったのかな。例外を模索していくうちに王道がわからなくなった。

 

根底にある安定志向も、その反動もあってのキラキラした自力でのし上がる世界への憧れも、どちらも未だ共存しているのだから困ってる。結婚前のるんるんの花嫁に「宇宙の端と端だから」と占い師に結婚を止められるくらいにはそれぞれに偏った遺伝子が、半分ずつ入ってると思うと仕方ないことなのかしら。ただの二面性の一環ですら、こんな風に過剰に書ける。

 

「他人のためなら頑張れる」ってよく聞くじゃん。

 

他人のために頑張れる、頼られると嬉しい、勝手にすればいいと思うけど、直接その他人の評価に関わるところで投げ出すような人間はそんな嘘言わないでね、笑っちゃうから。大抵の嫌なことは病的に忘れてしまうけれど、わたしの好意と善意で繋いだものを簡単に裏切ったあなたたちはきっと一生忘れない。“個体”としては人との繋がりを何より大事にしてきたから、そこを踏み躙られたから、そんな大義名分わたしに与えないで。

 

やりたいことはできるけど他はしない人間が怖い。

 

人を見る目も断捨離も、何事もないように接するのも能力よ。嫌になった人間に価値を見出すのはもうやめよう。家の片付けも人間関係の整理整頓もちゃんとしよう。中秋の名月、また来年

 

 

Murder on D Street  僕が良ければ すべてよし