最強の餅

中途半端な文を辞めれる日がきますように

いつかの昼下がり

比較的地雷原。そして爆発を隠せないところに多大な問題があると思う。

 

どうしてこんなに自我を隠せないのか。怒りに限らずツイートで“お気持ち”を表してしまうのか。自尊心でしかないけど、ちょっとだけ歪んでるのかなと思う。なによりわたしが後々少々罪悪感を感じてしまう。勝手な話。

 

自分を持った人間がただただ眩しい。感情対論理がジュウゼロ。感情の中でも、相手への既存感情とその時の外的要因の感情がナナサン。後輩や先輩ならちょっと隠せる。隠さないのは仲良くなったから。それか既存感情がメッチャ嫌か(ないよ笑)

 

人格の根源はすべて自分なの。

別人格みたいなものはない。

 

「わたし」の受け口が広すぎて自分でもわからない。だから、花子として愛してあげてね。「わたし」と「アカウント」がイコールなの、今までの自分からズレたらどうするんだろう。ズレたわたしはそういうものとして「お名前」をつけてきたから。

 

なりたい自分に「お名前」をつけて、なりたい自分になりきった。気づいたらそのお名前である程度いいところまで行けていた。以前ちょろっと書いたように真似するのって思っていたより簡単だったから。

 

本来の自分である必要なんて微塵もないとずっと思っていたけど、わたしの想像力の範囲のキャラクターなんて、まして誰かのほしいところを抽出したキャラクターなんて、特別になれっこないよ。でもやっぱり、好きな自分でいたいし、評価される自分でいたいと思ってしまうわ

 

 

お気持ちばかりね