最強の餅

中途半端な文を辞めれる日がきますように

時期ですね

ロマンチストなの。一期一会とか運命とか、すごく感じる。偶然にすら希望を見出す。自分のそういうところ好きだけど、現実からあまりにも乖離しすぎて、自分の中で矛盾を起こして、今思えば長めの思春期だったのかもしれない。

 

教師になるものだと思っていた。全部投げてもいいと思える将来の夢はあったけど、結局レールが透けて見えていた。拒み続ける、をしきれなくて、結局レールに乗るものだと諦めた。

 

コンプレックスになるほどの失敗はしたことない、のか記憶を改竄しているのか。レールの通りなら失敗しないと思ってた。だから怖いけど。レールから外れたくて聞いたこともなかった大学に決めた。もとよりなにかを自分で決めるのがとにかく苦手で、思えば高校も大学もなにも考えてなかった。やりたいことがあったから。それ以外どうでもよかったから。友達が言い始めて焦って同じところにわたしもした。ノリの「○○もここにしようよ〜」をしっかり守った。だって自分で決めるの怖すぎる。自分で本気で選んでもできるわけじゃないんだから、努力でどうにもならないなら最初から考えない。夢なんて考えさせないでほしかった。コンプレックスになるほど期待しないように生きてるだけか。

 

「嫌な記憶すぐ忘れちゃうんだよね」と笑ったときに、「生きやすそうで羨ましい」と言われたその嫌な記憶は忘れられないままよ。愚痴を言うことで生きづらくなったから、愚痴になる記憶ごと消したいの。本質は変えられないを変えたくて、暗示をかけてる途中なの。邪魔しないでね。わたしの好きなわたしでいさせてね。

 

北九州、いちばん関わりなくて、マジでどうでもよくて、自分でもなんでここにきたか特段理由はなくて。(お勉強的なことではギリギリ理由はあったからいいけど)

 

それでも、素敵な人に出会えた、素敵な関係を築けた、いろんな自分を知れて、いろんな考え方に触れられたこの場所を愛しているわ

アイスティー

見る目がない、他人に期待するのが間違い

 

世界はだいたいこれで何も言えなくなってしまう。しかしながらすべてわたしに当てはまる、図星だからムキになっちゃうの、なにもなかったら流せてる。

 

嫌なら断捨離すればいいのにする勇気もなくて

 

自分の見る目がなかっただけなのに相手の行動のマイナスをつらつら語って被害者になって。言ってしまえば自分で被害者になりにいってるのに。

 

でもわたしにも心はあるので友人は大事。いい子すぎて信じちゃったんだよね🥲とかめちゃくちゃ思う。そうなるとやっぱり日頃のその人の人付き合いの賜物なのかなあ。

 

馬鹿にしてる人間には馬鹿にされて然るべきだし、馬鹿にしてくる人間は馬鹿にしてるやん

 

自分の体験が世界一可哀想でまったく問題ないんだけど、自分より可哀想な人が出てきたらどうするの?あなただけならともかくまわりの評価も変わるか、まあそんなに他人って見てないのか。

 

日頃のまわりへの扱いでぜんぶかわるの、わかってるけど、まだ上手くコントロールしきれない

 

やなきもち

Murder on D Street

幼少期、おじいちゃんと将棋をしていた。

 

本来2手3手先を読み、場合分けして打つ手を決めるもので、実際5個下の弟は、論理的に考えおじいちゃんにも圧勝するようになっていった。わたしは「経験豊富で何手先をも考えるおじいちゃんの意表を突くこと」を目的に将棋をしていた。

 

そういう人を出し抜けた快感を忘れられなかったのかな。例外を模索していくうちに王道がわからなくなった。

 

根底にある安定志向も、その反動もあってのキラキラした自力でのし上がる世界への憧れも、どちらも未だ共存しているのだから困ってる。結婚前のるんるんの花嫁に「宇宙の端と端だから」と占い師に結婚を止められるくらいにはそれぞれに偏った遺伝子が、半分ずつ入ってると思うと仕方ないことなのかしら。ただの二面性の一環ですら、こんな風に過剰に書ける。

 

「他人のためなら頑張れる」ってよく聞くじゃん。

 

他人のために頑張れる、頼られると嬉しい、勝手にすればいいと思うけど、直接その他人の評価に関わるところで投げ出すような人間はそんな嘘言わないでね、笑っちゃうから。大抵の嫌なことは病的に忘れてしまうけれど、わたしの好意と善意で繋いだものを簡単に裏切ったあなたたちはきっと一生忘れない。“個体”としては人との繋がりを何より大事にしてきたから、そこを踏み躙られたから、そんな大義名分わたしに与えないで。

 

やりたいことはできるけど他はしない人間が怖い。

 

人を見る目も断捨離も、何事もないように接するのも能力よ。嫌になった人間に価値を見出すのはもうやめよう。家の片付けも人間関係の整理整頓もちゃんとしよう。中秋の名月、また来年

 

 

Murder on D Street  僕が良ければ すべてよし

 

いつかの昼下がり

比較的地雷原。そして爆発を隠せないところに多大な問題があると思う。

 

どうしてこんなに自我を隠せないのか。怒りに限らずツイートで“お気持ち”を表してしまうのか。自尊心でしかないけど、ちょっとだけ歪んでるのかなと思う。なによりわたしが後々少々罪悪感を感じてしまう。勝手な話。

 

自分を持った人間がただただ眩しい。感情対論理がジュウゼロ。感情の中でも、相手への既存感情とその時の外的要因の感情がナナサン。後輩や先輩ならちょっと隠せる。隠さないのは仲良くなったから。それか既存感情がメッチャ嫌か(ないよ笑)

 

人格の根源はすべて自分なの。

別人格みたいなものはない。

 

「わたし」の受け口が広すぎて自分でもわからない。だから、花子として愛してあげてね。「わたし」と「アカウント」がイコールなの、今までの自分からズレたらどうするんだろう。ズレたわたしはそういうものとして「お名前」をつけてきたから。

 

なりたい自分に「お名前」をつけて、なりたい自分になりきった。気づいたらそのお名前である程度いいところまで行けていた。以前ちょろっと書いたように真似するのって思っていたより簡単だったから。

 

本来の自分である必要なんて微塵もないとずっと思っていたけど、わたしの想像力の範囲のキャラクターなんて、まして誰かのほしいところを抽出したキャラクターなんて、特別になれっこないよ。でもやっぱり、好きな自分でいたいし、評価される自分でいたいと思ってしまうわ

 

 

お気持ちばかりね

倫理観はものすごく徹底してたと思う。『かぐや様は告らせたい』の伊井野ミコを見ながら、昔の自分のようで頭痛がした。あんなに可愛くないけれど。

 

伊井野ミコほど徹底を貫けなくて、途中で楽な方に逃げた。その逃げが他人の真似事だったんだけど、それでも、ものすごく生きやすくなったし、今の自分がわたしも好きだ。本当にわたしが好きなのか、他人から評価されるのがこちらだから好きなのかわからない。でも、好き。

 

浮気の定義がわからなくなったときに、わたしの価値観や倫理観が変化していることに気づいた。割と問答無用で「 恋人が嫌がった時点で浮気、これが浮気かを考えた時点で浮気 」などと豪語していた。童貞クン。

浮気の定義ってなんだと思う?

そもそも向ける人間が違うのに全部恋愛にまとめるのすら難しいことだと屁理屈こねてしまう。そんなこといちいち考えないのかね人類は。ちなみにわたしは未定。ケースバイケース。逃げって思われるかもしれないけど、セックスしてても浮気!嫌い!とできない、どころか自分の倫理観を捻じ曲げてでも好きでいたい人に、事例に、出会ったから。(当事者じゃなくてずっと蚊帳の外だったのは根に持ってる)

 

大学生になって異性との距離が近くなった。近くなればなるほど、自分の異質さに嫌気がさした。明確に近くなったのはいつなのか、きっとラルーチェで働き初めてからだけど、ある雨の日、男と一緒の傘に入って家まで送ってもらった。家に帰ってお風呂に入って、ベッドに寝転んでスマホを触っている時、(あれ相合傘だったな)などと思った。中高のわたしが見たら発狂しちゃうようなことをもっとたくさんしている。尚、相手の男が誰だったのかも覚えていない。

嫌いだったわたしへ、見ていますか。あなたからわたしは脱却したよ。根本はなにもかわれていないけど、わたしは対人関係ですべてを測るから、問題ないわ

したがき

評価に甘えて、その評価の範囲を広げたいのか自分を押し付けて「おまえが評価したんだからこれも受け入れろ」と、これは脅迫に近いのかななんて。裏垢少数垢自分に見せる価値を見出してくれることは嬉しいのに、自分が必ずそう思われるとは限らないから怖いわね。

 

全部好きでありたいから、好きなところしか見ない。自分の好きな人間を特別に仕立てあげて、勝手に違うと幻滅する。恐ろしい話。わたしはちゃんと人を見れているのか怖くなる。わたしの希望のフィルターを通して見ているのか。この人はこうだと決めつけすぎていないか。

 

評価がほしかったくせに評価のために書いた文字を、作りあげた自分を、自ら否定する。なにがしたいのか、もうわからない。

 

明るい陰キャは陽にも陰にも溶け込めるようで、どっちにも同族と思ってはもらえない。孤独耐性はない。もはや溶け込むというより憑依型演劇と同義だと思う。溶け込んでたら溶け込んでいるってわざわざ自分で言わないし思わない。これだけ気を使ってるんだから結果がついてくるものだと、思い込めるのはすごいわよね。

 

文章を書くのは楽しい。楽しいのに書けない自分や誰かを意識した文を書き始める自分がとても苦手だ。

 

そちら側なら寄り添ってくるな。圧倒して圧倒して、最後に寄り添って優しくされてしまったら、みんな惹かれてしまうでしょ。みんなに爪痕残していくな。

 

置いていかれる孤独ではなく、抜き去っていく孤高になりたい。自分に向き合う、をそろそろやろうね。自己分析じゃないけど、現状での答えを出しましょうや

自分を受け入れられ始めた自分に、まだ実はちょっと驚いたままでいる。諦めたんだって少しだけ淋しく思いながらも、とても生きやすくなったので。

 

「 こんな文章を書いてます 」見せたいような見せたくないような、その人の中でのわたしの立ち位置が変わることは嬉しいようなそうでもないような。それに誰かに見せたら次からその誰か用の文章になってしまって、きっと後々苦しくなりそう。それでも、承認欲求とはまた別の、わかってほしいが勝ってしまうのかなあ